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通訳案内士を目指すなら英訳で読んでおけ!日本の近代文学を代表する作品として世界的に有名だぞ!谷崎潤一郎の『細雪』英題 ”The Makioka sisters” 過去に何度も映画化されたこの小説は日本的事象の英語表現が豊富な上に実に面白いので一気に読めるぞ!

谷崎潤一郎の『細雪』(ささめゆき)。過去に何度も映画化されたこの小説は通訳案内士の関連書籍で近代日本文学を代表する作品としてよく取り上げられています。
一度読んでおくべき本だと私も考えて今回は思い切って英訳本にチャレンジしてみました。意外にも一気に読める面白い作品でした。

日本的事象の英語表現が豊富

英語の勉強も兼ねて「ちょっと大変かな?」と思いながらEdward G. Seidensticker氏による英訳本を図書館で借りました。
かなり分厚い大作です。
「The Makioka sisters」(蒔岡姉妹)という題名で海外には紹介されています。
谷崎潤一郎は三島由紀夫と並んで近代日本文学を知る上では重要な作家で海外の日本ファンや研究者には大変人気のようです。
この小説には「お見合い」
arrenged marriage や「仲人」go-between といった日本的な言葉も沢山も描かれているので日本事情の説明にも役立つ一冊だと思います。

太平洋戦争直前の神戸が舞台

舞台は戦前の日中戦争から太平洋戦争が始まる頃の神戸が中心で東京の様子も詳しく描かれています。
父親が生前、一代で大阪、船場の事業によって財を成した名家、蒔岡(まきおか)家の家族の話です。
父母の死後に家運は傾き始めて斜陽となり、やがて崩壊していくこの蒔岡家の四人姉妹、鶴子、幸子、雪子、妙子の「蒔岡シスターズ」の物語。

英訳で読んだのになぜ漢字名がわかるのか?実は後で漢字名を調べました。
長女の鶴子一家は大阪の本家に賑やかな子沢山の大家族で住んでいましたが、やがて銀行勤めの夫、辰雄の転勤に伴い一家で東京に引っ越します。
次女の幸子一家は神戸の芦屋に居を構えています。
話の後半はシーンが東京と神戸を行き来します。


神戸の芦屋は高級住宅街のイメージがありますが、そこが舞台の中心です。幸子はそこに夫と小学生の娘、妹の三女雪子、四女妙子と住んでいます。お隣はドイツ人一家でそこの息子と幸子の娘が仲良しで両家の楽しい交流も詳細に描かれています。


上流家庭のお話ですから、まあとにかく上品で華麗です。高級洋食屋や中華料理店での外食や歌舞伎鑑賞、妙子の日本舞踊の話などなど、裕福で知的な雰囲気満載です。

私は東北の出身なので当時の東北がどのような様子だったかとどうしても考えてしまいます。「おしん」の大根めしの話はちょっと古すぎるかもしれませんが、娘の身売りとかもまだあった時代です。昭和恐慌で国民生活は苦しく、戦争の空気が漂う中での一家の様子は当時の普通の生活とは対照的で非常に浮世離れした感じがします。
正直に言って、私はこの一家の生活感にあまりシンパシーを感じません。当時の庶民感覚からかけ離れている世界です。


この小説はこれまで何度か映画化されています。最近では1983年に東宝が制作しています。監督は市川崑。鶴子役が岸恵子、鶴子の夫,辰雄役が伊丹十三、幸子役が佐久間良子、幸子の夫、貞之助役が石坂浩二、雪子役が吉永小百合、妙子役が古手川祐子です。このキャスティングだけでもう十分に豪華です。力作です。


着物のシーンなどはもう夢の世界のようにきらびやかです。皆さんも是非一度ご覧になってみてはいかがでしょうか。ただし、途中だけ観て役者さんのセリフだけ聴いていると「え?橋田寿賀子のドラマ?」という印象を持たれる方もおられるかもしれません。

三女、雪子の縁談

話は三十歳前後の少し適齢期を過ぎた(当時のことです。)三女の雪子、二十歳過ぎの四女、妙子を中心に展開します。次女の幸子が何とかこの二人に蒔岡家の家名にふさわしい結婚をさせようと文字通り東奔西走します。
そういう意味でこの小説の主人公は幸子かもしれません。三女の雪子は物静かです。ほとんど自己主張をしません。見合い話を知人に依頼するのも先方とのやり取りもすべて姉の幸子任せです。好きな男性タイプもはっきりしません。何事につけても姉任せで受動的です。でも、わがままな性格ではありません。いわゆる、おとなしい「いいお嬢様」です。幸子が八方手を尽くして見合いをアレンジしますが、蒔岡家にふさわしいそれなりの男性を探すのは非常に難しいことです。相手の身上を調べるといろいろな不都合が出てきます。まあ当然のことです。完璧な人間はいませんから。

最初のお見合のシチュエーションにたどり着いて当人同士あるいは双方の家庭の第一印象もまずまずで、ひとまずよろしいのですが、相手の身内や仕事のこと、経済的な事情、はたまたこちらの問題で縁談はことごとくうまく運ばず、何度も破談を繰り返します。
雪子に対して「お前の考えはどうなんや?はっきりせえや?」と読み進めながら少なからずイライラ感を募らせる読者は私だけではないでしょう。

四女、妙子の生き方

一方、この雪子と対照的に四女の妙子はアグレッシブでアクティブです。
自己主張は半端ないです。自分の考えもやりたい事もハッキリしています。蓮っ葉娘といってもよろしいでしょう。自分で小さな事業を起こしたり、フランスへの留学も計画するなど、野心的で生活力もあり、非常にたくましい女性です。

しかしこの妙子は十代の時、他家の御曹司と駆け落ちして新聞沙汰になるスキャンダルを起こして家名を汚します。蒔岡家にとってはいわば「面汚し」。英語でいう
black sheepという存在です。でもその性格からこの娘はやがて蒔岡家から出て自らの力で幸福を手に入れるのではないか?と読者に淡い期待を抱かせます。私も読み進めながらそう思いました。
しかし、幸子はこの妹にも次々と翻弄されます。かの御曹司とその後もズルズルと切れないで時々連絡を取り合っていましたが、やがて当時関西地方を襲った大水害で九死に一生のところを助けてくれたその御曹司の部下と交際をはじめます。
これでやっと彼女も幸せになれるのかと明るい期待をもたせますが、話は急転、程なくその彼も病気で急死します。その後あるバーテンダーの男と一緒に生活を始め妊娠しますが、やがてこれもまた悲しい結末を迎えます。

降っては消え、けっしてつもらない細雪

この小説、題名は「細雪」ですが、作品中に雪のシーンは登場したでしょうか。少なくとも私の記憶にはありません。雪の降らない地方の人たち、とりわけ子供たちは雪が降るとそれが降り積もって雪景色になることを期待しませんか?
今は交通機関や通勤、通学のことを考えると雪が降るということは決し嬉しいことばかりとは言えませんが、まだのんびりした当時、人々には雪景色を眺める楽しみがあったはずです。


細雪は蒔岡家の四人姉妹のとりわけ三女、雪子と四女、妙子の幸福を暗示しているのではないでしょうか。

降り積もることを期待するけれど、すぐに溶けて消え、またそれを繰り返す、読み手の期待に反して物語の最後までこの二人に幸福は訪れません。


この小説に悪人は登場しません。皆、善良で良識的な人たちです。特に婿養子の辰雄(鶴子の夫)、貞之助(幸子の夫)の温かく、家族思いの人柄は素晴らしい。

そんな家族に囲まれて雪子も妙子もいつか幸せになるだろうと期待して読み進めますが、それは細雪のように積もることなく溶解してしてゆきます。

蒔岡家の家格を守ろうと必死な鶴子。
妹雪子、妙子の幸せのために奔走する幸子。
縁談は姉任せ、従順すぎて自分の意志を持たない雪子。
自分の欲望に忠実、自由奔放に生きる妙子。
個性的な四人姉妹が織りなす物悲しく切ないストーリーです。

日本人の情景を世界へ紹介した作品

物語は当時の京阪神のモダニズムを様々なシーンに織り交ぜながら 上流社会の人々にとっての「家」というものと当時の結婚観と道徳観を登場人物の精緻な描写や会話によって鮮明に描き出しています。
特に幸子一家が毎年、春になると訪れる嵐山や京都の情景は美しい。

さすが耽美派。谷崎潤一郎の作品です。

英訳 [The Makioka sisters]は世界不況や戦雲の垂れこめる一方で、このような華やかで雅(みやび)な世界が当時の日本にも確かに存在していたこと世界に知らしめました。
欧米諸国に今も残る戦前のいわゆる「顔のない」
(faceless)な日本人に対する暗く、没個性で集団主義、狂信的な軍国主義者という誤ったステレオタイプのイメージを打ち消すのに貢献した作品ではないでしょうか。

お薦めの一冊です。



今回は以上です。
ご精読いただきありがとうございました。