その他雑記

なぜこんなに多いのか?【自衛隊の幽霊話】不思議な話、ぞっとする話。私の体験した話。いろいろお聞かせいたしましょう。

 私はさほどオカルトに関心があるわけでも、その分野の本をよく読んだり、精通しているわけでもありません。むしろ無関心な方です。

この手の話に身を乗り出して耳を傾けようとするタイプでもありません。

それでもやはりそれを信じる、信じないは別として自衛隊に幽霊話やその目撃談が非常に多いということは印象は否めません。

この手の話は非常に多い。多すぎるくらいです。

日本中の各部隊の幽霊譚をかき集めたらきっと「大全集」が出来上がるのではないでしょうか?

私が自衛隊にいたのはとても短い期間でしたが、自分の部隊はもとより、全国の他部隊から転属してきた人から「ご当地自慢」の話を聞く機会がよくありました。この手の話はある種の「娯楽」の一つでした。

なぜ自衛隊という組織に「幽霊話し」が多いのでしょうか?

おそらく隊員同士で「幽霊話」をする機会が他に比べて非常に多いからでしょう。

隊員から隊員へ「伝承」されている話が非常に多いのです。

以下、私見を述べるとともに、私が在職中に体験した、あるいは他の隊員から聞いた話をいくつか紹介したいと思います。


自衛隊という特殊な組織にはつきもの?

「もののふが屯(たむろ)する場所にはこういう話はつきものだ。」

私が所属していた中隊の営内班で私たちの部屋の2つとなりの居室にいわゆる「霊現象」が頻繁に起きていた時期がありました。

その時に当時の中隊長が中隊員全員を前に朝礼で言った言葉です。

その営内班は7、8人の居室でしたが、ある時期、消灯後の深夜、数名がいわゆる「金縛り状態」になり、その後で坊主頭の男が部屋にスーッと入ってきて部屋の中ほどにあるソファに腰かけてタバコを吸って、しばらくして姿がスーッと消えるというものでした。

複数の隊員が同時に目撃するので「おい、さっきの見たか?」「ああ、見た。」といった感じです。

これが何度か繰り返されました。

普通に考えれば「誰かが夜中に入ってきてタバコ吸ってただけだろう?」とも思えますが、自衛隊に在職された方であれば、消灯後の深夜に居室でタバコを吸うことなどありないということは容易に理解できますし、おそらくその姿、雰囲気が「この世のもの」でないと目撃した隊員に感じさせたのでしょう。

表立って話す者はいませんでしたが、噂はすぐ、中隊に広まりました。

当然中隊幹部の耳にも入ってきます。

よく眠れない夜が続いたせいでしょうか?その営内班のメンバーもやつれた感じです。

私が教育隊で同期だった山形出身のSもその班だったので、彼に「お前も見たのか?」と尋ねると、

「みんな見てるよ。全員。その時目が覚めるんだよ。人を起こしてから入ってくるんだ。まるで俺を見てくれという感じで。」

「何とかしてくれないかな、あれ。」

困った班員たちは部屋の「お祓い」を中隊長に願い出ましたが、「ここは自衛隊。宗教的な儀式はできない。」ということでこの提案は却下されました。

その代わりに中隊長が市内のC神社からお札を頂いてきて居室の窓側の柱に貼って班員が交代で水を供えるようにすると、これが奏功したのか、それ以降この「現象」はなくなったそうです。

この「騒ぎ」は2週間ほどで収まりました。

この類の話は各中隊にもあるようで「うちの中隊はこんな話がある。」といった「自慢話」がよもやま話でスキー合宿の時などに語られていました。

でも「そんな馬鹿な話、寝言」と一笑に付す隊員はほとんどいません。黙って「へえ、そうなんだ。そんな不思議な話もあるんだ。」といった感じで聴いているか、あるいは特に関心を示さないかのどちらかです。


隊員たちが24時間一緒にいる職場だということも理由

世の中にはさまざまな会社、組織がありますが職場ごと24時間行動を共にするというのが自衛隊が他と違うところです。

未婚の隊員は幹部を除けば基本的に部隊内で生活します。

寝食を共にした生活しており、当然、夜間も消灯後の営内であれ、あるいは演習場や天幕のなかであれ、仲間と一緒に行動していますから自然と夜の時間帯にはこういった話も出てくるわけです。

つまり、「幽霊談、怪奇談」をする機会や時間が他の職場に比べて沢山あるということもそんな話が多い一つの理由でしょう。


「暗がり」という場所もとても身近です。

演習場の部隊行動などは森の中で月のない夜であれば普通の人が経験することがまずない、まさに漆黒の闇、「真っ暗闇」です。

目の前に自分の手をかざしても全く見えません。

当然ですが、自衛隊ですから懐中電灯を頼りに進むなどということはありません。

自分の直前を歩く隊員のヘルメットの後部に貼られた蛍光テープが放つ淡い光や踏みしめる枯れ枝や落ち葉の音、あるいは地面で妖しげな光をぼんやりと放つ菌類が地形や進路の手がかりになるだけです。

当然その演習場にも「不思議な話」はありました。

私の所属する部隊がある駐屯地は昔、海軍の航空隊があったところで、隣接する演習場との間には現在は使われていない2500mほどの長大な滑走路があります。

これは元々、アメリカ本土の空爆を目的に開発された中島飛行機(現在のスバル)の幻の爆撃機「連山」のために作られた滑走路だと古参の隊員から聞きました。

そして隣の演習場内には航空機を空襲から守るための掩体や誘導路が何十か所もそのまま残っていました。そこここに往時の海軍航空隊の雰囲気が漂っていました。

ある時、冬季の演習で夜間巡察していた隊員が73APC(装甲兵員輸送車。グーグルで検索してみてください。)の下で寝ている隊員を目撃したという話があり、

翌朝、私たちの小隊長から「昨夜、APCの下で寝てた者がいるか?」

と訊かれて、

「APCの下で寝る?それ、物理的に無理だろ?そんな隙間ある?」

「そんなところで寝てたら凍死するだろ?」

「つまりそれって、お化け見たってことですか?」

皆で顔を見合わせて、苦笑。

まあ、そんなことは実際にはあり得ませんから、つまりそれは幽霊だったということに話は落ち着きました。

こんな感じのことがよくありました。

こんな事があっても、特に驚くこともありませんでした。

「怖い!」と感じることもありません。

「まあ、そんなこともあるだろう。」といった感じです。


人のいない天井から足音、でも訓練で疲れているので気にとめない

私の所属していた中隊は建物の三階にありましたが、その上に屋根裏がありました。「屋根裏」といっても非常に大きな空間で窓がなく、天井が小屋掛けで斜めになっている広大な倉庫といった感じです。

入口は一つしかありません。普段は冬季に使うスキーや使われていない装備品、隊員の私物などが保管されており、同じ隊舎の三つの中隊が共用していました。

ネットで仕切られた「空き空間」もありましたから、そこで「隊歌コンクール」のために皆で合唱の練習をすることもありました。

このため消灯時刻の前には多少の隊員の出入りはあるのですが、消灯後は施錠されるため人の出入りはありません。

「消灯ラッパ」と同時に当直幹部や陸曹から廊下に「消灯!」の号令がかけられ居室や廊下の電灯は一斉に消されます。

消灯後は一部の隊員が「消灯延期」を申し出て、中隊事務室で自学自習したり、娯楽室でテレビを見たりしているだけです。その屋根裏にいる隊員は当然いません。

しかし不思議なことに消灯後かなりの時間がたってから天井から人の足音がかすかに聞こえることがしばしばありました。

「ペタペタ」とスリッパやサンダルを履いて歩いている音です。

これを聞いた最初、私は少しびっくりして先輩隊員に尋ねたことがあります。

私「ちょっとこの音・・、上で誰か歩いてますよね?」

先輩隊員「ああ、確かに上から聞こえるね。でも、よくあるよこれ。」

私「誰か何か作業してる?」

先輩隊員「作業してるわけないだろ。上に人なんかいない。」

私「お化けの足音ってことですか?」

先輩隊員「たぶんそうだろ。よくあることだよ。」

これで会話は終わりです。その後数分して天井から聞こえる音は消えましたが不思議だと思いながらも訓練で疲れているのでそのまま普通に寝入ってしまいました。

そのあともこの音は何度か聞こえてきましたが、私も慣れっこになって気にも留めなくなりました。

訓練で疲れていてそれどころではなかった。というのが本当のところです。


洗面所から出てきた女性

以下は私の体験です。

自衛隊には不寝番勤務というものがあります。

駐屯地内のパトロールは警衛勤務の各部隊が行いますが、各部隊の隊舎は不寝番勤務の隊員がパトロールしています。

詳しい内容は申し上げられませんが。数か月ごとにこの不寝番の当直が回ってきます。

ある秋の日に当番だった私は少し不思議な体験をしました。

その日の私の担当は一番最初の時間帯、消灯前からの当番でしたのでまだ明るい隊舎内を回って煙缶(えんかん)(自衛隊では灰皿のことをこう呼びます。)が廊下の壁に掛けられているかを確認しながら巡回していました。

私の中隊と同じ建物の1階にある第〇中隊を歩いていた時です。

前方右手の洗面所(洗面所といってもトイレではありません。水飲み場、洗濯、洗面の場所でかなり広いものです)から灰色のセーターと同じような色のスカートを着た、後ろ姿から察するに30歳前後の女性が出てきました。

廊下を少し歩いて右手の出口に向かいます。彼女の顔の記憶は全くありません。

私たちの部隊は女性とは無縁の場所です。

婦人自衛官も含め、女性が出入りすることはまずあり得ません。ここに来る用事がそもそもありません。

「はて?なぜ、この時間に女性がいるんだろう? PX(売店)の従業員の人かな?」と少し不審に思って彼女の後を追い、出口に向かうと女性の姿はもうそこにありません。

はて、不思議。出口を出て右手にある売店の方を見ても誰もいません。

正面の浴場や食堂の方向にも左手の道路の方にも人の姿は全くありません。

出口の前は広く開けています。身を隠す遮蔽物もありません。

見失うはずがないのにその女性の姿が忽然と消えた。

「もしや、ひょっとしてあれですか?」との考えが頭をよぎりましたがその時は誰にも言わずこの事を心にしまっていました。

その年の冬、「冬季戦技訓練隊」で合宿が一緒だったその中隊の陸曹にある時、このことを話すとその人は笑いながら、嬉しそうに「その灰色の彼女はうちの中隊によく現れるアレだよ。俺は見たことないけど目撃者が何人もいる。俺も一度見たいんだけど。」

それは一体誰なのか?そのいわれも誰も知らないとのことでした。


巡回しなくてもよいと言われる場所がある?

実は私の部隊の各中隊の洗面所は夜間巡回の時、内々で「そこはまあ、適当でいい、あえて見なくてもいい。」という場所でした。

ある中隊の洗面所は「あそこは本当に出る。」と言われていました。

その「お姿」やなぜ出るかの理由も聞いていましたので、私もそこの前を通るときは少し緊張して、視線をそちらに向けない様に意識して通り過ぎていました。

この他に各中隊の事務所横の廊下にある、隊員の服装や装備確認のための全身を映す姿見(鏡)の前で夜中に「立ち止まって自分の姿を覗き込むな。」とも言われました。

「お前の横にそれが現れる。」とのこと。

しかしこれはおそらく若い隊員を怖がらせて楽しむ趣味の悪い一興だったかもしれません。この手の話は皆、楽しそうに話しますから。


これはちょっと無理。師団司令部の怪騒動。

私が在職中にあったもっとも強烈な話。いや事件といってもいいかも。

私の連隊は通常の連隊より規模が大きく、当時、重迫撃砲中隊は連隊のそれとは別の隊舎にあり、道路を挟んで100m以上離れた師団司令部付隊の隊舎内にありました。

これはその時「冬季戦技訓練隊」で一緒だった重迫撃砲中隊の福岡出身のM士長から詳しく聴いた話。M士長は同じ中隊の「実体験者」本人から直接「聴取」したようです。

当時、何日も前から師団司令部の隊舎の廊下が消灯時間後も消灯せず、一晩中点灯されているということは耳に挟んでいましたが、彼はその理由を教えてくれました。(楽しそうに)

不寝番の隊員が夜間巡回中にアレに「遭遇」してしまう事案が多発したようです。

ある部隊の廊下を巡回していると何かただならぬ「雰囲気(ゲゲゲの鬼太郎風にいうと妖気)」があり、懐中電灯で照らしてみると、それに「出会ってしまう。目が合ってしまう。」のです。

しかも・・・天井にいるのです。

それがどのような「モノ」なのか、その姿、様子をつまびらかに聞きましたが、ちょっときつ過ぎてここでは申し上げられません。夜中にトイレに行けなくなるかも知れませんから。

その時、それを聞いた私を含めた一同「いやあ、それはちょっと無理だわ。そんなのがいたら。」ということでこの「大騒ぎ」にも納得。

そんなことで、その隊舎では公然と不寝番勤務の拒否を申し出る隊員が出るという事態になりました。もちろん処分覚悟です。

自衛隊としては不寝番勤務を中止するなどということはできませんから、部隊は「折衷案」として、しばらくの間、廊下の消灯をしないということで対応しました。

これが功を奏したのか、その後この話もほとんど噂にのぼらなくなりましたから、「出なくなって収まった。」ということでしょうか。

たしか10日ほど「一晩中明るい廊下」の状態がつづいていたと思います。


A士長がみた不思議なモノ

私の営内班には北海道出身のAという先輩士長がいました。
自衛隊ではまず階級が最も重視されます。

その次が先任であるかどうか。
自衛隊の飯を食っている期間が長いほど「偉い」ということです。

階級が同じであれば年下でも先任者には敬語で話します。

私も彼に話かける時は必ず「A士長」と呼んでいました。

こういったところが一般社会と違います。(自衛隊では『娑婆シャバ』と呼んでいました。刑務所内か自衛隊だけでしょう。この言葉を使うのは。)

A士長は「先輩」といっても一年ほど入隊が早かっただけで、私よりも年下でしたから、私としては友達感覚で付き合っていました。
でもそのA士長、私に話かける時は呼び捨てでした。

彼は二段ベッドの「ベッドバディ」で私の下段のベッドで寝ていました。(私は在職中、スキー合宿を除けば原隊でベッドの上段で寝たことがありません。)

このA士長、ある時、営内班のソファでくつろいでいると、唐突に

「なあ、○○、ここの窓から落ちたらどうなるかな?怪我するかな?」と私に訊いてきました。

私たちの中隊は3階にありましたから私は「そりゃ怪我するだろ。よくても骨折か重傷だと思う。下手したら死ぬかも?いずれにしても大変なことになる。」と真に受けないで生返事。

ところがA士長、この質問を別の日にまたしてきました。

しかも決まって営内班に他に私しかいない時に限って。

これが数日にわたって何度か繰り返されたある時、さすがに私も少しイラついては「なぜ、いつも私に訊くのか? どうしてそんなくだらないことを訊くのか?」と問い返しました。

するとA士長、「他の隊員に話したら、馬鹿にされるか、怒られる。○○だったら大丈夫だと思って。」

「一体どうしてそんな変なことを何度も訊くのか?」と私が問い詰めると、A士長曰く、「実は夜中に目が覚めると窓の外に男の人がいて、自分を手招きする。夢を見ているのもしれないけど、最近何度も現れるので不安だ。」という。

A士長「○○は見たことないのか?」
私「ない。他の隊員からもそんな話は聞いたことがない。」
その時はそれで終わりました。

しかしその、2、3日後の朝の点呼時にA士長がいません。

私はなぜA士長がいないのかわかりませんでした。

営内班の他の隊員も気づいていた者はいません。

当直陸曹が言うには「Aは夜中に窓から転落して病院に搬送された。命に別状はない。もうすぐ警務隊が来るから窓に触るな。そのままにしておけ」とのこと。

「しまった。誰かに話しておくべきだった。」私は当直陸曹と班員にA士長から聞いたことを話しましたが、当直陸曹はもう理由を知っている様子で「Aが病院でそれと同じことを話している。まだ事情がよく分からん。」

営内班の中央部の二重窓が十数センチほど開いていてそこからA士長が転落したことが誰の目にもわかりました。

A士長は地面に落ちてから「目が覚めて」真っ暗な中を数十メートル這って、隊舎をつなぐ通路に辿りつき、そこで不寝番勤務の隊員に発見されたのでした。

怪我も不幸中の幸いで背骨の脇にある小さな突起部(なんという名前なのかを知りません)を骨折しただけで1か月ほどの入院で帰ってきました。

しばらくして先任陸曹と入院先のC市民病院に見舞いに行くと本人はいたって元気。

「あの日、いつものように窓の外に人がいて、手招きするので窓を開けたところまでは覚えてる。でもその先は記憶がない。気が付いたら地面に倒れて星空が見えた。立ち上がれないので匍匐(ほふく)して通路まで行った。すごい時間がかかった。」

「このことを警務隊に話したら、ちゃんと聞いてくれたけど、そんな話どうやって報告したらいいんだ?と言われた。」とのこと。

先任陸曹からは「お前の事だから、どうせ寝ぼけてたんだろ。」と笑われるA士長。

あの時、A士長を手招きしていたのが彼がいう「幽霊」だったのか、夢遊病のような行動だったのか?私には分かりません。
個人的には「夢」を見ていたのだと思っていますが。

ただ、こういった事情で保険が下りるまで非常に時間がかかったということを後で聞きました。


日本中の「もののふの屯(たむろ)するところ」にはこのような不思議な話が沢山あると思いますよ。元自衛官の誰かに訊いたらきっと教えてくれるはずです。



今回は以上です。
ご精読いただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

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