今回は英語の話しを少し離れて私の自衛隊時代の話です。
私は若い時に陸上自衛隊の普通科(歩兵)つまり有事の際は戦闘の第一線に立つ部隊に所属していました。
当然ですが定期的に「演習」が行われます。
「演習」とはいわゆる実戦に即した訓練です。演習に参加する各部隊が攻撃側と防御側に分かれて部隊の指揮運用の演習を行い、野戦築城を経て戦闘状況に入り、実戦状況下を想定しての訓練で攻撃能力、防御能力を高める。あるいは各部隊の日頃の訓練の成果を確認するのが目的です。スポーツでいうところの練習試合と考えて頂ければばよろしいかと思います。
自衛隊の演習の様子を詳細にお話しするのは国防上の利敵行為にも当りますのでここでは控えさせていただきますが、私が所属していたのは北海道の機甲師団の普通科でしたので戦車部隊と一緒の演習がほとんどでした。
駐屯地の部隊から火器や装備を満載して装甲車に乗って部隊は演習場へ移動します。
私の場合は新隊員の前期教育を練馬の部隊で受けましたのでその時の演習は朝霞や御殿場の富士演習場とかなり離れた場所でしたが、後期教育や配属部隊は北海道の部隊だったため演習場は駐屯地に隣接しているか、十数キロの移動で済む比較的近い演習場(しかし広大)で行われていました。
演習は大抵「二夜三日」や「三夜四日」のスケジュールで行われました。自衛隊だけで使われる少し特殊な用語が沢山ありますが「二夜三日」というのはこの「自衛隊用語」の一つで普通の感覚で言う「二泊三日」の事を意味します。
「一兵卒」だった私は先輩隊員になぜ「二泊三日」と言わないのかと尋ねたことがあります。その先輩はその時ニヤリと笑って「二泊というのは泊るという意味だろ。泊るというのは眠れるという事だよな。お前、演習で横になって眠れると思っているのか?」という答え。なるほど。
そうなんです。演習は決して楽しいキャンプではありません。実際、演習ではほとんど眠れません。
「演習」というとずっと「戦闘訓練」をしているの思われますが、その時間の殆どは普通科部隊の場合「野戦築城」すなわち「小銃用掩体」「機関銃掩体」「無反動砲掩体」と呼ばれる「タコ壺堀り」や移動のための「交通壕掘り」に費やされます。
スコップ(自衛隊では「円匙えんぴ」と呼びます。)を手にひたすら穴掘りです。これは夜を徹して行われます。その間交代で歩哨に立ち、夜間襲撃訓練なども行われたりして、一晩に休憩時の30分程度のコマ切れでトータルで2時間も仮眠がとれれば良い方です。
野外キャンプを想像する方もいらっしゃるかと思いますが、天幕の中で寝たり、寝袋で眠れるのは冬期ぐらいで、暖かい季節はタコ壺や交通壕の穴でポンチョをかぶって穴の壁に寄りかかってウトウトするだけです。雨の時は雨合羽を着て雨に打たれながら仮眠をとりました。
戦車部隊との戦闘演習は実際のところ演習期間の最後の1、2時間だけです。これが唯一、民間の方がイメージする「ドンパチ」している「自衛隊らしいシーン」でそれが終わればすぐ撤収作業です。つまり何日もかけて掘った穴を埋め戻すわけです。そのような地味な作業が演習の実像です。
これは全く余談ですが、自衛隊を退職した後のある時、友人と上野の東京文化会館にクラシックのコンサートを聴きに行ったときに高名な指揮者であるT氏が曲目のインターバルのトークで「私は自衛隊が嫌いだから・・」と発言していました。私はその時「こんな雨の夜でも必ずどこかの演習場で雨に濡れながら訓練している自衛隊員がいるはずだ。」と思い、残念な何とも言えない複雑な思いをした経験があります。
さて、この自衛隊の普通科部隊の演習はほとんどがこの「穴掘り作業」に費やされるわけですが、その間の食料として「戦闘用糧食」というものが配給されます。濃い緑色のプラスチックの袋に入ったその食料は中身のほとんどが缶詰。白めしや赤飯、たくあん、鶏肉と野菜の煮物、乾パンといった中身がセットで入っています。
演習に糧食班が帯同しない限り基本的に温かい食事を頂けることはありません。冬場は飯盒の中で凍りかけたシャリシャリの白めしにパックの漬物をかけてかき混ぜて食べたこともあります。そのような冷たいパック飯や缶詰の中身を掻き込むだけの質素なものが演習中の食事です。演習での行動に必要な最低限のエネルギーを補充するだけの食料なわけです。
さて、この毎回配給されるこの「戦闘用糧食」中にいつも必ず入っているのがありました。私はこれに対してずっとある種の違和感を感じていました。それが戦闘の場面にそぐわない、ある意味で無駄なものと思っていたからです。
それは砂糖のパックとセットになって入っている「紅茶のティーバッグ」でした。私は演習の時、分隊でよく一緒になる埼玉県出身のT3曹に尋ねたことがあります。
「演習中に紅茶を飲んでいる暇があるんですか?湯も沸かさなければいけないし、優雅にお茶を飲むなんて演習や訓練の場に似合わない感じがするんですが、自衛隊はどういう意図でこれを戦闘用糧食に入れているんでしょう?」
T3曹は習志野の第一空挺団出身。空挺レンジャーの徽章をつけた強者でした。当然すさまじい過酷な訓練を経てきた人で、人間的にも隊員としても周囲に一目置かれていました。彼は笑って「確かにお前がそう思うのも無理はない。でもそんなことを訊くのはお前が初めてだ。この紅茶はな、どんなに過酷な状態にあっても、どんなに緊迫した状況下にあっても、湯を沸かしてお茶を一杯飲んで落ち着く、そんな心の余裕を持てということだ。それに眠気覚ましにもなる。時間があると思ったらとにかく食って、飲んでリフレッシュする事が大事だ。」
なるほどそういうことだったのか。これで合点がいき、その後は私も演習中に紅茶やコーヒーもよく飲み、疾走中の装甲車の重機関銃座でカップラーメンを食べたりしたこともありました。
東日本大震災の時、ニュース映像で災害派遣の隊員が天幕やトラックの上で「缶めし」を食べているシーンを見た時、「ああ、自分がいた頃と変わらない食事風景だな。」と思いました。普通の人には理解し難いかもしれませんが、自衛隊の野外炊事車で糧食班が炊き出した被災者に配られる温かい食事を派遣された自衛隊員も一緒に食べているとは普通の自衛官や元自衛官は考えません、彼らは被災者の目に留まらない場所で冷たい「缶めし」を食べていたはずです。
「自衛隊の仕事は誰にも感謝されない。自衛隊が注目される時というのは実は国民にとって不幸な時。平時にあっては自衛官は目立たぬ日陰者であれ。国民に賞賛もされず、注目もされない状況下で厳しい訓練に耐え有事に備えよ、そして有事にあっては身を挺して全ての国民を守る。そういう存在であることにプライドを持て。」これはよく在職中の訓示で言われたことです。
どのような状況でもお茶を飲んで一息つく、そんな心の余裕を持つことの大切さを教わった思い出でした。
今回は以上です。
ご精読いただきありがとうございました。