can と may は一般動詞に気持を被せる法助動詞の中でも気持の強さが同程度です。
大体50%ぐらい。可能性が半分半分といったところでしょうか?
でも、同じ日本語訳でもそのニュアンスはかなり違います。
使い分けるためにも以下の点は確認しておきたいところです。
それは、
基本的にmay は主観的、can は客観的な気持を反映している。
ということです。
例文を見ながらその違いを確認してみましょう。
You may go if you want to.
「行きたいなら行っていいよ。」
(心情的な許可、容認)
You can go if you want to.
「行きたいなら行けるよ。」
(条件は整っている。支障がない。あとは君次第だ。)
May I use this machine?
「この機械、使ってもいいですか?」
(単に許可を求めている。)
Can I use this machine?
「この機械、使えますか?」
(単に使用の許可を求めているだけでなく、機械が正常に機能しているかどうかの確認もしている。)
His story may not be true.
「彼の話は真実じゃないかも。」
(心情的な不安、懸念)
His story cannot be true.
「彼の話が真実なんてありえないよ。」
(客観的な状況、考察から導きだした論理的結論)
It is not possible that she is an actress.
「彼女が女優だなんてありえないよ。」
(99%否定)
She may not be an actress.
「彼女は女優じゃないかもしれない。」
(女優である可能性を捨てきれない。判断に自信がない。)
She cannot be an actress.
「彼女が女優であるはずがない。」
(100%全否定、判断に客観的な根拠あり。)
※cannot be (~のはずがない)は must (~に違いない)の反対語。
She is sleeping now. You may not enter the sickroom.
「彼女は眠ってるよ。病室に入っちゃだめだよ。」
(とにかくダメ。強い命令。上から目線。)
She is sleeping now. You cannot enter the sickroom.
「彼女は眠ってるからね。病室には入れないね。」
(安静にしておくべき客観的な理由から、入りたくても入れないことを相手に諭している。)
The Kitten doesn’t move at all. It may be sick.
「子猫が全然動かないわ。病気かもしれない。」
(状況からの印象で主観的な不安を表している。)
The Kitten doesn’t move at all. It can be sick.
「子猫が全然動かないな。病気の可能性があるな。」
(状況から導き出される可能性を客観的に推量している。)
今回は以上です。
ご精読いただきありがとうございました。